• Harumi

見る世界に、どんな愛があるのだろう?

最終更新: 2018年12月16日

我々は大抵の場合

見てから定義しないで

定義してから見る

-Walter Lippmann、世論-

 

 

目に止まる

気になるというものは、全て

自分が見にいっているというような。

 

 

そこに着色をし、添加物たっぷりな話に

まるでそれが事実であるかの様に

「美味しい話」とは、よく表した言葉だなと思う。

 

 

その場にいた、見たという人がひとり以上いれば

もうそれは本当の話として語られる。

 

 

でも、もしそのテーブルにいない人が

そうでない事実を持っているのなら。



ましてや、それをちゃんと言える場が

一方にはないのだとしたら

それはある種のハラスメントになってしまう。

 

 


ゴシップの怖さを感じるのは

それがいつの間にか事実として

ひとり歩きすることだと思う。

 

 

だから、そこにいない人の話を

見聞きするときは

気をつけたいものだと思う。

 

 

「あの人は、、」のそれは

語り手が、そう見ている。

 

そう見たい都合(定義)があるかも

しれないってこと。

 


 

見聞きした話の中にも

愛を感じられる

心を持っていたい。

 


十の目を心に持って聴くというのは

大事だなーと思う。

 

 

そして、誰かの話をするときに

愛を定義したいね。

 

 


その世界に、どんな愛があるのだろう? 

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