• Harumi

変人であれ!

自覚としては、周りと同じと思っていたし、変わっている子と言われた記憶もないのだけど、気づけは違う感覚を感じ、ひとり他の方向をみていたと思うことは子どもの頃から。でもやはり、変人なのかも知れないと思う。

  


これはちょっとヤバイのじゃないかと思って、小さく自粛を始めたのが2020年の2月の終わり。感染はまだ隣の国のお話と考えている人が圧倒数で、怖がることは大げさという空気感だった。でも、それから間も無くして、緊急事態宣言などという言葉を始めて体験した。

   

あれ以来、ほぼほぼ人に会ってない。



お喋りや息抜きをするためにお友達にあったことを数えてみたら、この一年半で3〜4回。生活の上でオンラインで出来ることはシフトし、息抜きは近所の散歩。真面目に守ろうって話でもないのだけど、何と無く今はそんな時期じゃない、そう感じ取っての行動がいまに至る。

 

 

周りを見渡してみて気づいたのは、あえて人に会わないとしている人は、あまりいないようだ。多くの場合、家族がいるから一人ではないし、仕事上、人に会うのが当たり前だったり。寧ろ、こんな空気感だからこそ、人に会って安心したいし、息抜きをしたいと思うのは当たり前。それを悪く言うつもりはないが、ふと思う。

 

 

なぜ、私は平気なのだろうか?



 

いえいえ、決して平気じゃありませんw 平気だからできるわけでも、できているから平気なわけではない。とはいえ、正義感でも意地でもないような。うまく言えないけれど、何となくそうすると思っているのは、別のところに意図があるように感じる。それが最近、うっすら分かってきたように思う。

  


オンラインでの会合が日常化する中で、東京に居ながらにして、遠くに住む人と話せるのは、本当に素晴らしい時代の中にいるなと思う。あまりにも遠くの人たちと画面上に居続けると、移動生活も長かったせいか、家を出てから、”あっ、いま東京にいるんだった”と、我に返ることがあるほど。

 

 

何を選択しているか、それが自体が「自分の居場所」や「世界」になっているもので、身体がある場所が自分の世界とは言えないと気づいている人は、多いのではないだろうか。こうした閉ざされた所から見える美しい景色もあって、恐れずに言うならば、なんとかして「今まで通り」を保とうとしては、決して見えない、気づけない世界ではないでしょうか。

   

   

耳慣れない”VUCA”という言葉に、覆いかぶさるようにしてやってきた”100年に一度”のという出来事に、「どう生きるのか?」の問いが方々から絶え間なく降ってくるような。この難題が大きなうねりとなって世界中を動き回っている中に、深く静かにダイブしたように感じているのは、答えなんてありゃしないからか、多分、無意識がそこに触れたかったのだろう。



イギリスの若手詩人が書いたという詩の中に、「このパンデミックで苦しんだ人こそ、寧ろ、未来に輝く魔法を手に入れているのだ」というようなくだりがあって。ここだなと思う。世の中には、その立場やそこに行ってみないと見えない世界が沢山ある。



全ては何処から観るか?その道を歩んできたからこその、いま、ここで観ているもの。



新しく変化を起こせるのは、若さ、次の世代だからだけではない。普通という中で苦しみ動けずにいる心の中から起きる。なぜなら、苦しみの中からしか希望は見えないし、真の自由は不自由さの中でしか見つからないのだ。



会えなかった分だけ、その時間が何よりも貴重となる。人に会えることに真の喜びを感じることも、素晴らしい人生の体験ではないか。そろそろ状況は変わっていくだろうけど、今はまだ......。



変人であれ!









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