• Harumi

エンパシーが世界を広げる

最近、エンパシーの言葉をよく目にするが、分断が広まっている危機感を感じている人が多いからだろうか。みなさんは、如何でしょうか。


エンパシー、人の気持ちを想像し、問題を理解する能力。日本語でも馴染みのある類語のシンパシー。相手の辛さ、苦しさを感じとるといった相手を思いやる気持ちとは、ちょっと違う。


エンパシーとは、自分の世界観と言えるのではないだろうか。エンパシーは慈悲であり、精神の豊かさを示すものだとも感じる。


一方で、この問題を理解する能力とは、ある種のスキルなのだろうか。


世界中で起きているニュースを見ていると、これまでの価値観や定義を当てはめることは、とても難しく。また、異なる正解に穴をこじ開け、自分の正論を高らかに主張しても分断は深まるばかりか、結局は、自分を苦しめることになる。


多様な人たちが集まる場では、よく「Put yourself in their (/ my) shoes 相手(私)の立場になってみて」と聞いたもんだが。世界のあちらこちらで、これまでにないほどに多様化が進み、いくつもの靴を同時に履いてみなくてならないような、そんな感じすら覚える。


正解が沢山ある社会では、一旦、自分の正解を横に置く勇気。相手の世界を知らずしては捉えることすらできない問いを、自分がいかに持てるか。その視座が問われているような。


新たにフレディみかこさんの新刊「他者の靴を履く」が出たということで、早速購入。まさにこのエンパシーについてだった。




アナーキック・エンパシー


本の一文を引用させていただくと『アナーキーの本来の定義は、自由な個人たちが自由に協働し、常に現状を疑い、より良い状況に変える道を共に探していくことだ。どのような規模であれ、その構成員たちのために機能しなくなった組織を、下側から自由に人々が問い、自由に取り壊して、作り変えることができるマインドセット。(略)そのマインドセットを持って人々が集まって話し合い、いまとは違う状況を考案するときに必要不可欠なスキルこそ、エンパシーという「想像力」に他ならない。』


アナーキック・エンパシー、素敵な造語だと思う。


異なるとは、敵ではなくて自分をアップデートする材料のようなものとも言える。どれだけ自分と異なる or マイノリティな視点に出会ってきたか。それらがインスパイアとなって自己のエンパシーに気づくとき、自分の世界観が広がっていくのは間違いなし。


こうして融合していくところにしか自他を生かす環境はないだということを忘れずにいたい。それぞれの世界が広がっていけば、やがて大きな一つの輪ができるかもしれないのだから。本の中にあった「エンパシーもまた多様で多面である」という言葉が響いてくる。


アナーキーであれ!







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