• Harumi

世界観を広げるということ

世界観を広げるということは、どのようなことなのかとここ数年考えている。


わかってきているのは、二元論の「表・裏」といったように対局する両方を経験することで、その領域が広がる。どちらか一方しか知らない、体験したことがなければ、たとえそれが重要、かつ真実であっても、どこか違和感が残る。


やはりその裏を知ったものが捉えるものとは、別物。


「表裏」に例えるならば、「表」を知るだけよりも、「裏」を体験し、初めて「表」の持つ力を体験できると言ったように。ある側面から見ているだけの世界では小さいこともある。


両方を知るとき初めて円となって「全体」が見えてくる。ってなお話はこれまで散々聞いたことがあって、自己体験としても理解できると思うのですが、如何でしょうか。


その先に、もう一つ、「そこ、か・ら・の〜」が大事だと思う。


両方体験した上で、またどちらかをもう一度体験するとき、そこで初めて「自分の世界観」と感じるものが浮かんでくるのではないだろうか。また、感性を高めるということは、こういうことだと思う。




表裏の概念を、例えば、表層的なたとえではあるが「仕事」でいうと。


一昔前までは、一つの会社に就職して、そこで一生を共にするという働き方から、気軽に転職やアルバイト、思い切って起業するといったことのハードルがどんどん低くなって、さらに今ではお勤めしながら副業など、働き方が多様化し、選択しやすくなった。


一旦、常識から離れてみて、この例でいえば、起業してみるなどと。


そうした局面を味わうことで「働く」、細かくいえば「時間」「ストレス」という意味がどんどんと変わってくる。


今では、本業/副業という区分すらない人も多く、「正社員」という呼び名は契約上の、もしくは雇用先からみた呼び方みたいなものと捉える人も少なくない。


そもそも、仕事をしない、なんの役回りがない時間こそ、(長ければ長いほど)「働く」意味を問い直すのかもしれない。


話を戻すと、『表裏、そこからの表(もしくは裏)の経験』は、確実に個々の世界観を広げ深めていくことは間違いない。


さらに、私たちはそれらを加速させているように思うのは私だけだろうか。いや、今はまだ、その移行期だから混乱の中にいるのだけれど。


少なくとも言えるのは、概念の変容を自ら起こして、自分が経験してないような考え方を見聞きし取り入れて、その両方の側面を見ざるを得ないほど社会は猛スピードで変化している。


恐れずに言うならば、人類全体としてその先へいくために、あらゆる概念に問いが投げられている。


その問いをキャッチする感性を大事にしたい。


そして、私は、「そこ、か・ら・の〜」の先にこそ、自己が確立した世界観があると思う。


経験から自分なりの「哲学」生まれたとき、その感性を持って初めて、『自分の世界観が広がった』と言えるのではないだろうか。


ってなことを考えながら、今日も問いに埋もれる。









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