• Harumi

出来なくなることと向き合いながら出来ることを

以前、「読書会」を定期的に開催していた時期がある。その時、参加された方の言葉がしみるようになった。


「本も段々と読めなくなるから。今のうちに」というものだ。


私は37歳の時から老眼鏡を使っている。その時に知ったのは、実は長いこと「遠視」でもあったという。どうやらそれに気づかずに目を酷使していたのもあってか、割と早い歳での老眼鏡デビューとなった。


キンドル本の音声読み上げ機能を使い聞いてみるが、やはり読むのとは違う。耳も随分遠くなった。


これまでだって随分と年を重ねてきたが、去年あたりから感じるその重ね具合には、手荒い身体の変化が伴っているように思う。


ちょっと前までは普通に出来たのにと思うことが増えていって、老いるとは、持て余す感情に向き合うことかもしれないとも感じる。


少しばかり自分より若い人たちに、特に愚痴っているわけじゃないのだけど、こんな話をすると「気持ちが大事よ!」と一撃されるけど、「いまにぃー」と心の中でボヤいてみる。


気持ちが大事は正論だが、老いるとは、こんな野暮な葛藤にも耐えることだったのだろうか。(笑)最近になって両親に向かって、「気だよ」と散々言っていた自分を反省する。




出来なくなることと向き合いながら、明るく生きていくために。


そういえば笑顔をテーマに活動している友人から聞いた「幸せだから笑顔になるのではなく、笑顔だから幸せになる」という話を思い出す。


顔の表情の豊かさと心の豊かさを考える。


よく、体が硬いと心も硬いと聞くが、これにはちょっと反論したい持論があるのだが、表情に関しては確かにそうだなと思う。何より、相手様に印象としてとても残るものだから、当然かもしれない。


自分では笑っているつもりでも、多くの大人は表情筋を動かしてないらしく。例え、動いていたと感じていたとしても、皮肉な笑いだとすると、そのような表情、かつ、印象を作ってしまう。(自分では見えないのが怖い)


また、無意識にそうした思考回路が確立してしまうのだそうだ。


大事なのは、笑顔の奥にある心を観察すること。同時に、顔を柔らかくして、最初は嘘でもいいから笑顔でいなさいがアドバイスだった。加えて、このパンデミック。誰もが笑顔をマスクの中に隠して、これは幸せへの感度が低くなると言っても大袈裟ではないかもしれない。


こんなことを思い出したのは、いろいろなことが出来なくなるからこそ、笑顔の持つ力が大きくなる。


喜怒哀楽、人生そのものが沢山の表情で飾られた豊かな人生であるように。そして、自分の心と向き合い、物事によりよく折り合いをつけながら、そのしなやかさが漂いこぼれだすように。


さて、マスクフリーになったときに、再び柔らかな表情で再会出来ることを祈って。


今のうちに。

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