• Harumi

矛盾を抱いて

確か「矛盾」と習ったのは小学校の4年生だったような。「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができ、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」とのお話から、この言葉にとても興味を持った。「どっちもどっちってことなのか」と子ども心に、それから家で、頻繁に使った。


ティーンになる頃には、それが思春期にある反抗期ってものかもしれないが、どっちもどっちが段々と受け入れられなくなる。そして、自分の矛と盾すらうまく使うこともできずに、世の中へと飛び出したように思う。


なんて世の中「矛盾」だらけなんだろうか。そして、少しわかったのは、自分もなんて「矛盾」だらけなのだろうかだった。


古いブログを読むと、この矛盾に対しての考え方が変わってきている。2012年の頃は「誰にも矛盾がある」と書いて。翌年には、細胞の本を読んで、「生物学的に言っても矛盾はあるものだ」と。2016年になると、「矛盾があるからこそアウトプットが必要」と書いている。


自分の「矛盾」への理解が変わってきたのは様子が面白い。そもそも、矛盾の中で生きているのが、私たち人間なのではないだろか。


キリストやブッタの弟子たちが、相手によって話が異なることから「矛盾」を指摘したというような話をどこかで読んだことがあるが、知識が広がれば広がるほどに、「矛盾」してくるのは当たり前なのだ。


状況や相手によって、その教えが矛になるときと、盾になるときと変わり。そうやって私たちも成長していくものなのかもしれない。



リチャード・ステンゲルが書いた「ネルソン・マンデラ氏の行動哲学『信念に生きる』」を読んで、これほど矛盾と向き合った人はいなかろうと思って興味を持った。


ネルソンマンデラ氏の歴史というより、自他を超えた大きな矛盾に対して在り方というようなものが書かれた本だと私は理解したのだが、ときに沈黙し、逆に声を上げて。


さらに、相手の立場に立って考えられるようにと、ととことん相手の世界を学び。そして、あらゆる角度から物事を見て。そして、また静かに自分の中に籠り考えるという彼の在り方。


到底、自分にはそんな領域には行けないだろうけど。世の中を知ることに怯えず、知ることを喜びにし高めていたいと願う。


たとえ、矛盾を抱いても。


この本の最初にあった言葉が響く。その一文を引用すると、「アフリカの言葉で『ウブントゥ』という概念がある。これは『私たちは他者を通してのみ人間として存在する』という意味。『他の人々の功績や貢献のお陰で、自分はこの世で何かを成し遂げることが出来る』という考え方である。


自他を知るとは、矛盾が生まれるが、それは全てを内包しているということなのかもしれない。ある事柄について確固とし動揺しない、貫き通す考えが信念とあるが、それは矢のようにほそく鋭くするのではなく。矛盾を抱いきながらも自分を変えていくことで内包する生き方なのかもしれない。





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