• Harumi

心を大切に守りながら生きていける社会

Netflixで『コタローは1人暮らし』という番組を見た。お話は小さ男の子が一人暮らしを始めるという設定で、一人暮らしを心配した隣人たちがあれやこれやと世話をするもの。


それがどこかとても暖かくホノボノとした感じがするのは、昭和の懐かしい隣人関係やアパートの佇まいからか、気づけば最後まで見てしまった。


小さ男の子の一人暮らしなんて設定としてはありえないが、男の子の人生と並行して、登場人物たちが蓋をしていた心の深い傷を、このアパートの関係性の中で癒していく。「安心する場」とは、尊厳にはとても大切もの。


何とも尊厳のエレメントが散りばめられた深いお話だった。



私はここ1年ほど、「尊厳」を深めるという対話をグループで重ねています。尊厳の大事なエレメントの一つ、「安心する場をつくる」があり、安心する場とは何かを深めています。


皆さんにとって「安心する場」とは、どんなところでしょうか?


私が体験した「安心の場」とは、移動生活をしている時に出会った「出会い」。初めて出会った人たちなのに何とも深い話になることがあって、それはなぜだろうかと考えた。


初めて会った人達だから、心の垣根を外して話せたというのもあるでしょう。でも私が一番安心したのは、その「聴く」姿勢でした。


勿論、会話の中身も大きく影響するのだけど、初めて会った人なのに、その数時間という会話の中で、互いの存在を受け止めながら対話を深めていけたことに強い安心感を覚えたのです。


ジャッジすることなく、損得なく。偽った称賛もなく、偏見もなく。話を聞きながら自分の思考や感情を切り離して話を聴くということは、ものすごく難しいこと。プロであってもできない人も多いのが事実。


人生で数回あるかないかの出会いで安心を覚えるなんて?と驚くかもしれませんが、それがだけ聴いて貰えたと思う経験は少ない。


相手からも忘れない思い出になりましたといったメールをいただくことも増えて感じるのは、記憶に残る対話って、そう誰もが起きるものではないのだと思うのです。


対話とは言葉のキャッチボールだけではなく、そのバランス良く、またその抽象度と解像度が程よく同等であることがないと起きないものだと感じています。


そして、この「聴く」ということは、尊厳にはとても重要なのです。唯一尊厳を感じまた癒せるものかもしれない。


残念ながら私たち誰もが無意識にも育っていく過程でこの尊厳を傷つけられていると言われます。尊厳を研究したドナヒックス氏によると、我々が尊厳とは何かをしならいでいるから無意識にも傷ついて、また傷つけて。その循環がされているということ。


この循環を良き方へ流れるように、逆流させたいですよね。


昨日の真子さんの記者会の最後の言葉が深く響き、同時に悲しみも覚えたのは、「多くの人が心を大切に守りながら」生きなくてはならない社会であるということ。


そう、どこか自分を守るために必死になる社会になってしまっている。


願うなら、守らずとも誰もが尊厳を持って安心して暮らせる社会に。これは今大人である私たちからしかできないのではないでしょうか。


逆流させたい。



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