• Harumi

旅、人生を映すもの

ジャーナリストの佐々木俊尚さんのVoicyを聞いているのですが、今回興味を持ったのは、「旅」と「輸送」について。「旅」は、あてもないブラブラ感と連続性が大事というお話。


昔の人が「旅」に出るというと、その手段が何であれ、道中には危険が伴い「移動」そのものがチャレンジでエキサイトなものだった。誰もが移動できる現代は、それが異国の地に降り立つにせよ、移動は輸送に近いと。


なるほど、確かにそう思う。


旅と移動。そして一歩間違うと輸送になるこの微妙な感じは、私たちの「旅」への捉え方の変化を、強いて言えば、これからの人生を語るように感じています。


みなさんの思う「旅」は、どんなものかしら?



以前、旅をテーマにお仕事されている方と何度か道中をご一緒したことがある。


快適な飛行機から出てくると両手じゃ抱えきれないほどスーツケースをハイヤーに押し込んで。向かった先では、インスタ映え巡り、予め連絡していた日本人の方々と過ごす。


勿論、私は一人、地下鉄の地図と格闘しては、スーツケースを引きずって追いかけるのですがw あっちこっちと飛びまわり偶然に予約したというホテルの様子は素敵に映るけど、これは旅だと言えるのかと疑問に思って見ていた。


考えてみれば、私たちがいう「旅」も、どこが「旅」なのだろうか。「旅」という概念もアップデートするならば、自分の旅は、どう在りたいのだろうか。


新幹線の予約をポチッとすれば、今からでもどこかに出れる。兼ねてから気になっていた駅弁を頂きながら、現地の情報を調べているとワクワク感は増していく。


現地の知らない道や店を散策できるので、ここは旅と言えるのかもしれない。


が、しかし、大概の場合、こうして予めチェックしていた店や観光スポット巡りで終えるのだから、変な言い方だけど、その情報を確かめるに近い。考えてみれば、「旅」をすることが、なんとも難しい近代社会なのだよね。


佐々木氏が言うように、これからは移動の連続性に価値が見出されていくと言う点は、強く同感です。


と言うのも、「移動生活」。これは私の経験から出てきた言葉ですが、ある程度の予見の中での偶発性ではあるものの、不定期にも頻繁に生活そのものの場が変わる点において、連続性なり。


ましてや、スーツケースひとつとなると使える道具も限られているわけで。私のようにギリギリの予算となれば、自力で電車やバスを乗り継いでいくから、チャレンジ度は増します。


”なんだかんだと言って家が一番ね”って言ってしまう、あの安堵感を持ち合わせることがなく進むのですからw。そうしたチャレンジングでエキサイティングなものを、「人生にかけていた」という意味においては、これぞ「旅」だったと思う。


とは言え、ここ1年半、自粛生活の中で感じるのは、何も遠くに行ったり移動生活しなくても、今ある環境下で自分にとって異質性や偶然性にフレンドリーになることからも体感できる。


例えば、これまであまり興味のない分野のYoutube番組、本、映画を見るということだって、その一つ。家に居ながらいくらでも異国に住む人とは繋がれるのだから。


どこ行っても慣れしんだ自分の習慣や考え方、フル装備なものたちから抜け出せずにいれば、それはどんなに遠くにいっても風景が異文化でも、「輸送」になってしまうかもしれない。


如何に日常の中で異なるもに自分が「Open」であるか。旅の始まりは自分のマインドの玄関を開くところからですね!



旅は続く。





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