• Harumi

会話の狭間で II

Netflixの「賢人たちと教皇フランシスコ -未来へ託す人生の言葉」の中で、教皇の大好きな祖母の最も素晴らしかったところの問いに、「静けさがある」と言われていて感動した。


イタリア語、英語訳でも「silence」と使っていたので、音のないquietでもなく、冷静さのcalmや、内気というshyでもなく。またpeaceful 平穏という意味ので静けさではなく。映画の中の翻訳にある様に「静けさ」で、何かを含んでいるかの静寂、どこか耐え忍ぶ様な、自分というものがありながらも、あえて出さすにいるという感じのsilenceだと私は解釈した。


現実社会の中では、色々と忙しく動いてはいるのだけど、どこか「静けさ」を常に持ち合わせているという様な人に出会うことがある。相手の年齢や立場に関係なく、そうした静けさの中に包まれるとき、なんとも言えない安心感と安堵感を感じますね。


それにしても、静けさを素晴らしいと感じた子どもフランシスコ(教皇)の感性は、どこからきたのだろうか。やはり選ばれたお方ですね。



実は、去年一番感動した本、「人は語り続けているとき、考えてはいないー対話と思考の哲学」河野哲也著書を、新年早々再び読み返している。色々なところに心に響く言葉があって、それをゆっくりと自分なりに咀嚼しならがらいるのだけど、何度読んでも次の味が出てくる、私にとっては何とも深い本です。


「対話」は、私のライフワークの一つ。本の中にある「多くの人が対話に参加すればするほど、全体が理解されていく」は、まさに多様性が高まる社会の中で必要不可欠だなと思う。


一方で、これは、2021年の8月に「会話の狭間で」というタイトルで会話の在り方を考えるエピソードにあるように、情報や想いを「伝える」を意図とする会話が主流の中で、私たちはどうやって進化できるのだろう。そもそも、どう会話するかなんて学んだことがないですよね。


スピーチがフィーチャーされた時代があり、近年は聴くことについて本や講座も増えていますが、その勢いと共に強く思うのは、我々は、想像以上に聞くことに疲れているのかもしれない。だからこそ心がけたいのは、この「静けさ」ではないかしら。


インタビューやいろいろな対談を重ねてきて感じたのは、人は、無意識にでも質問に応えようとするものなのだけど、その答えにどのくらい向き合っていたかによって、相手に伝わっていく深度が異なる。自己との対話では、この「silence」が生まれ、それを纏うために必要なプロセス。


何を言うかよりも何を言わないか、そのメッセージが聴こえる世界で、改めて静けさが持つ力を考えたい。



つづく。


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