- Harumi
自分はどう生きたのか。
経験、それ自体生きているのではないかと思うことがある。
その中にあった「一つの種」が成長していて、自分の精神的成長に合わせて違うレイヤーが見えてくる。まるでその経験から、新しい体験が生まれていくかのように。

ロンドンで学生だった頃、語学学校では本当に色々な人に出会った。それは国籍という意味だけではなくて、色々な思いできて、色々な事情を抱えていて。
そして、そのどの出会いも、今の私を創るものだったなって思う。
今でも時々思い出すことがあるの。それはあるクラスメート達のこと。クラスといっても一斉に同じ日に入学しているのではなくて、短期留学の方もいれば、長期もいる人もいるし、英語のレベルが上がればどんどんクラス替えもできるから、なんとなく出たり入ったりしている中で何となく仲良くなって、時々公園にいったり。
英語がまだそれほど話せないのに、どこか通じている感がある仲間だった。
そんな中であまり学校に来ない、来ても急いで帰ってしまう人たちがいたのね。二人とも同じ国からいらしていたのだけど、それである時帰り際に引き止めて、「良かったらみんなで中華でランチしようって思っているけど来ない?」と声をかけた。
そしたら、「残念だけど、私たちにはそんな余裕がないのよ。」という。
その時に自分の感覚でこんな風に答えてしまったの。「〜のランチは安いよ、美味しいし」って。そのクラスメートがちょっと間をおいて「私達はね、1時間一生懸命働いても○ポンドにしかならないの」
それはお誘いしてたランチの半分だった。
私も同じように生活するために英国でもバイトしてたけど、日本人というだけで恵まれているのだ。彼女達は学校でもいつも疲れていて眠そうで、それでいて英語の上達もとても難しそうで。その理由を知ったように思った。
私自身、ロンドン留学をするにあたって、東京で昼夜週末なくバイトを掛け持ちしてた。時代はバブル。みん〜なが美味しいものを食べて、夜な夜な楽しんでいる時代に、異次元にいるかのような生活をしてきたので、少しは彼女達の思いがわかる。
でも、自分の発言に、何とも言えない遣る瀬無い思いで心が一杯になった。しばらくロンドンにいること、それでも尚ここにいること、頭がグルングルンしていたな。
それから随分と時が経って時々思う。
もしかしたら彼女達は私たちが逆立ちをしても得ることが出来ないものを得ていたんじゃないかって。
パッション♪「自分の人生をかけて、一生懸命に生きていたこと」
彼女達の国からしたら、ロンドンにいること自体が物凄いことなんだよね。それだけで私の何十倍のハードルを飛び越えてきている。
それはさ、言葉を話せるようになったとか、歴史的建築物を見てきたことよりも、もっと深くて生きる真実を体験したのではないかなって。その勇気や挑戦、それらはその後どんなものにも変換可能な生きる知恵じゃないだろうか?
こうして時間がうーんと立ってみるとさ、Outcomeなんてそれほど問題じゃなくて、どう生きたかなんだよね?!
そう、どう生きたか?きっと最後に残るのは、自分はどう生きたのかなのだから。

記念の一枚。
出会いもまたどう生きたかの証やね。