• Harumi

「でも、」と返すのは、本当によくないことなのか

いろいろな情報が上書きされ、瞬時に流れ消えていくようなパラダイムシフトてんこ盛りの毎日ですが、いかがお過ごしですか?

森岡氏の著書「苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた『働くことの本質』」を読みました。エピソードに出た会社に居たのでその様子を想像することができ面白かった。


そう言えば、自分もあんなこともあったなー、あの時なんであんなこと言ったのかなと回想の回転が早まる中で、改めて思うことがある。


伝説と聞く話には必ずにあるよね、「ちゃぶ台返し」シーン。

「でも、」と反論するのは素直じゃないのか?

活動したての頃、とあるビジネス系セミナーで言われたことがある。「成功する人は素直」「まずは素直に教えたことやってみて」と言われて、当時は素直になれない自分に悩んだっけ。


振り返ってみると私自身は、「でも、」と自分の疑問に向き合うことで道が拓かれてきた様に思う。その分、生きづらさや遠回りもしてきたとは思うけど、それでも思う。素直に聞いているだけじゃなくて良かったと思うこともとても多い。

素直になるのは、自分の「感覚」にね。

何が正しいかわからない、通常と思っていたことががめっきし通用しなくなっている中では、疑問符こそ生き延びる杖じゃないだろうか。誰かの言葉を間に受けるより、自分の「感覚」を研ぎ澄ますことが優先だ思う。




「新人のくせに」 そう言われたのは、以前イギリスのロエベで働いたときの話。新米で一番年下だった私がある提案をした時に言われた言葉だった。フランスからやって来たお偉い方の一存で物事が決められてしまう時に、「でも、」と言い返したことに対しての言葉だった。

ブランドの「ブ」の字もわかっちゃない外国人である私にイラっとした言葉だったに違いないが、フランス人でも「新人のくせに」って的なこと言うのだな〜と、変なところに関心した。

ところが、その数日後。私の提案がなぜか実行されることになり、それが想定外の売り上げアップの成功になったのでした。そうしたことを重ねていくうちに意見を聞かれることが増え、間も無くして突然の昇格の話を頂いたのです。

「でも、」を単なる反論と思うことは残念なことかもしれない。 100年以上続いているブランド企業にいて思うのは、内部代謝は激しい。それは単に新しさを求めてチェンジしているのではなく、古き良き伝統に「でも、」という視点で眠っていた真のパッションを呼び覚ましているのではないかと思う。(個人的感想です)そうやって、やり方や出すものを常に変化させながら変わることない”あり方を確立していく”ってな。

これまで、いろいろな方にコーチングや個人事業での相談事を聞いていて、時に「でも、」で返してくる人たちから感じるのは、何かその方自身もまだ言語化できてない大きなマグマを抱えていると感じたことがある。

いくらそれらを引き出そうとしても出てこないこともあるけど、「でも、」を繰り返す奥に必ず何かある。

不思議なことに、その後の活動をみているとあの時の交わした言葉が印だったと思うことがよくあって。しかも、その人にしかできないことだとをやっておられるのをみると「でも、」は、確信の革新になり、核心のタネなのよね。

あのセミナーでの素直な人たちは、言動も動機さえも写しに見えることがあり。だもんさ、まずは自分の「感覚」を拓こう!




いいんだよー。素人なぶん、弱いぶん、素直じゃないぶん、分かっちゃいないぶん。そんな私達だからこそ意気揚々とちゃぶ台返し。

え?「でも、」って湧いてきた?

いいんだよー、それ大事にしてね〜。